ぼくのふだん利用する電車というのは、日本一のラッシュ率を誇っている路線である。常に超満員だからして、片足だけ人波にさらわれて(身体はここにあるのに)右腕だけ遥かむこうに行ってしまうことなんかしょっちゅうで、その図はあたかも「ラインギリギリの球を拾わんとしているバレー選手」のようだったり。

あるいは、「人波に挟まれて持って行かれかけた左足」を強引に引き抜いている途中で身動きがとれなくなってしまうこともよくある。つまりあれだ。T.I.Mの「命」のポーズだ。

朝っぱらから全身で何かを表現している自分。しかもその言葉は「命」。「命」のまま、時速70kmで横移動。なんだかワケがわからないけど、とにかくものすごいことになっているのだけは確かだ。満員電車というのはかくも辛い労働をぼくらに強いているわけである。

そんな、珍奇なポーズを強要されるというのも満員電車の一つの苦しみだけど、ラッシュにはもうひとつ苦労させられることがある。痴漢だ。

件の路線は混雑を利用して日本一痴漢の多い路線としても有名なんである。実際ぼくも何回かその恩恵を受けた。いや違う。被害を受けた。

「男なのになぜ被害?」と思われるかもしれないけれど、世の中には男狙いの痴漢というのもいるもんなんです。でもその話はまた別に機会に譲ることにして話を続けます。今朝の話です。

今朝、ぼくはいつものように壮絶な混雑に身を委ねて東京へ向かう列車に揺られていた。姿勢的には、両手は吊り革に掴まり、身体もヘンに傾かずに直立を保定。つまり、『ヤングマン』でいうところの「Y」の状態にあったわけである。

なにせ「Y」だからして、両腕は上にあげているわけである。よって、痴漢に間違われる要素は何も見当たらないように思えた。しかも今日周りにいるのは中年男性ばかりである。ああ良かった。今日も誤認逮捕されずに済みそうだ。そんなことで胸をなでおろしていること自体がやましさの証なんだけど、とにかくぼくは心にゆとりをもって電車にゆられていたのである。

しかし困難というのは磐石に見える状況の中でこそ発生する。災難は忘れた頃にやってくるのだ。何が言いたいのかというと、ぶっちゃけて言えば、その状況下においてぼくの男の生理が発動したんであるこれが。

「ちょっと待て。周りは中年男性ばかりなんじゃないのか?」という疑問もあるかもしれない。しかし、女性にはわかりにくい話だろうが、男性にとってのふぐりというのは実に勝手気ままで手に余る生き物なんである。彼らはしばしば、主の意向に関係なく不可解で無茶な冒険を始めるものなのだ。

ボーイズ・ビー・アンビシャス。

そんなわけで今朝ぼくの股間は、中年男性のお尻に押しつけられた状況の下、徐々に徐々に硬さを増していっていたのである。

男性相手にそんなコトになるなんて、これはぼくとしては非常に不本意な事態。では相手が女性だったらOKなのか?と言われればそういう問題でもないんだけど、少なくとも、中年男性に密着している時に硬くなるのだけはゴメンである。しかもこの密着度だと、ぼくが現在トランスフォーム中なのが男性にバレるのは時間の問題であろう。なのに電車の振動は、絶妙のバイブレーションでぼくのフグリの冒険心を刺激してくるのだ。なんとか身をよじって、YMCAの「C」のポーズで股間が男性から離れるように頑張ってはみるものの、やはり周囲の混み具合から言って限度はある。

そんなわけで今日は朝っぱらから、絶体絶命のピンチを迎えてしまってました。まったく満員電車というのは色々とあるもんでございます。

幸いなことに今日は、ぼくの必死の願いが通じたのか、フグリは途中で活動を停止して引き上げてくれた。誰も傷つくことはなく事態は沈静化してくれたのだった。しかし今日は大禍なく済んだから良いものの、このフグリの無謀な振る舞いだけはどうにかならないだろうか。そう思うと、我が事ながら本当に忌々しい限りです。

思うに。 大きくなったり小さくなったり、フワフワと形を変えたりするから事態がややこしくなるのだ。いっそのこと硬いなり柔らかいなりで常に状態が一定していれば今朝のような問題は起こるまい。

ふぐりが四六時中カチンカチンな奴、といえば、思い出されるのはダビデ像だろうか。そう、確かにダビデ像のふぐりは石のように硬い。モロに丸出しなのが難点だけど、ヘンに形が変わったりしないのは満員電車の中では便利だなあと思う。

というわけで、いささか急ではあるが、ダビデ像への憧れを告白したところで今日の日記はまとめとさせていただきたいと思う。フグリが石のように硬い男・ダビデ像に、ぼくはなりたい。

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後記;
上記のシメの言葉は、我ながらちょっとナニだなあと思うので、以下の通り訂正。

こんなことばっかり言ってる人間なんか、いっそのこと電車に轢かれた方がいいと思う。

以上。愚息共々、昇天せよ。