いくら話しても信じてもらえない類の話ってある。例えば、今朝のぼくの体験がまさにそうだろう。ぼくが朝起きて部屋の雨戸を開け、居間に降りてお茶を沸かし、新聞を読み、トイレを済ませて洗面所に入ると。……鏡には「頭にカマキリを乗せた自分」が映っているのであった。

嗚呼!この時の驚きを、果たしてどのように説明したらいいのか。

いや、別に説明しなくてもいいんですが。でも、こんな変わった出来事があれば、誰かに告げて驚きを分かち合いたいと思うのが人情ではないだろうか?少なくともぼくはそう思う。

だから今は、「誰かに話したい。そしてこの驚きを共有してほしい」という気持ちを持て余しているトコロなんであります。

が、しかし。
この出来事をそのまま話したところで、果たしてちゃんと信じてもらえるモノなんだろうか?疑問である。なにしろ、「いつから頭に乗っていたんだ」とか「鏡を見るまで気づかなかったのか自分は」とか、ツッコミどころが満載なエピソードである。残念ではあるが誰も信じてくれないだろう。せいぜい「つまらないウソをつく男」の烙印を押されるのがオチである。

しかしぼくは、誰かにこれを伝えたいのだ。一緒に驚きを分かち合いたいのだ。

そこで、エピソードを部分的に改竄する方法を考えてみた。そもそも「カマキリ」という道具立てが非現実的なワケだから、これをもう少し現実的・日常的なアイテムに換えてやれば良いと思ったのである。

例えば「おたま」はどうだ。

……いや、これは撤回。「おたま」はダメだ。自分で言い出しておいて、早々に撤回するのもナニなんですが、さすがにこれはボツでしたすみません。

確かに「おたま」はどの家にもあっておかしくないアイテムだし、この点だけ見れば現実性は損ねていない。しかしだからと言って「頭におたまを乗せている」状況は、ちょっとマズいような気がします。

このエピソードの主旨は「ビックリするような出来事があったんだ!」という報告であって、「ビックリするような私生活を送っているんだ!」という話ではない。よって、おたまを乗せて生きる日常について語ることは、話の本題を大きく逸れることになりかねない。というか、そもそもぼくはそんなモノ頭に乗せたりはしない。一体何のメリットがあるっていうんだ、そこに。

そんなワケで、「おたま」は不可である。同様の理由で「裸電球」もダメだ。「ドアノブカバー」や「広辞苑」、「保険証」も好ましくない。ましてや、「ちくわ」なんてもってのほかである。

嗚呼、そう考えると何も妥当なモノはないのだろうか。ここはキチンと「頭に帽子が乗っていたよ!」とでも言っておくべきなのか。いや、それでは当たり前すぎる。「だからどうした」と言われて終わりである。

結局ぼくには

  • 「つまらないウソをつく男」と見なされる道
  • 「だから何なんだ」と、誰からも疎まれる道

という辛い2択しか存在しないのだろうか。なんだかとっても涙が出る。

……と思ったのですが、考えてみれば、そもそもぼくにはそんな和やかな会話をできる相手などいないんでした。苦渋の選択を免れてよかったホッとしました。

だけど、どうしたことか涙は止まらない。